ゴミ屋敷での奮闘③ーやっと開けてくれたドア

パンパンに腫れあがってカチコチになっていた脚も、お祈り「おさづけ」によってふしぎなご守護をみせてもらえて、すっきり治っていきました。

このご婦人さん

「借りているアパートはあるのに公園で寝泊まりしている。」

と言います。

家があるのにホームレス、どういうことやねん…。

どういうことか、書いていきます。

 

前回までの話⇓

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抱えた事情

このご婦人さん、守秘義務があるので具体的には書けませんが、身上・事情を大変な数、抱えてらっしゃいました。病だらけでしたし体のあちこちが悪く、そして家族の仲がめちゃくちゃで、天涯孤独となってしまっています。

おさづけしたあと、こう言ってくれました。

「私、公園で寝泊まりしてんのよ。」

何か感じるものがあったのか、一番悩んでらっしゃることを話してくれたのかもしれません。

「片づけが苦手でさ、家が大変なことになっちゃって、寝るところがついになくなっちゃって、友達のところを転々としてるんだけど、ついに皆に断られちゃって、最近は公園に寝泊まりしてんの。」

 

…んー…。寝るスペースがないくらい部屋が片づけられないって、どれくらい物があふれているのだろう…。

そうなってしまうまでに部屋を物で溢れさせてしまった彼女の心の癖性分を思い、他の事態に対してもその癖性分で対応していくなら、今までの人生、様々な悲しみが降りかかってきたであろうことは容易に想像できました。そしてその彼女の魂がたすかっていくために、自分は中途半端な気持ちで接していくわけにはいかないな、彼女の末代までのたすかりを思って、誠心誠意、心を尽くさせてもらわなくてはならないなと、たすかりに向けた苦労を思うと恐ろしくなり、かつ気が引き締まりました。

まだ夏で気温が高いから大丈夫だろうけれども、冬になれば凍えて最悪の場合、命が危ぶまれます。問題は気温だけではなく、公園に寝泊まりしているということは犯罪に巻き込まれてしまう可能性が上がってしまいます。とにかく危ない。

なので、提案してみました。

「外で寝泊まりしていると、体も休まらないし、事件に巻き込まれてしまうかもしれなくて危ないですよ。冬になったら寒さで命も危なくなるかもしれないです。私は天理教の修業をしている者で、神様が伝えてくれたお言葉に『人たすけたら わがみたすかる』とあります。だから、お部屋の片づけをお手伝いさせてもらえないですか?」

 

 

部屋を片づけさせてもらえるまでのこと

公園で定期的に会うことになる

すると、ご婦人さんは言うのでした。

「いやいやいや、ダメダメダメ。申し訳ないもの。」

「そんで怖いんだよね。私、ある宗教団体に騙され続けて脅されもしたの。宗教は怖いの。お兄さんが嫌って言ってるんじゃなくて、とにかく怖いんだよね。」

と片づけの提案を受け入れてはもらえませんでした。ある宗教団体に騙され脅され、嫌な思いをし続けてきたことを打ち明けてくれ、そして天理教の修業をしている私、坂口も嫌ではないが信頼ができないことを説明してくれました。

 

まぁ、そりゃあ、そうだよね。世間には、宗教団体による洗脳で悲しい思いをされている方もたくさんいて、全く別だとしても宗教とされる天理教に対して風当たりが強いばかりか、本人は直接的な被害を受けていらっしゃるもの…。

 

片づけの提案は受け入れてはもらえませんでしたが、そのご婦人さん、とても寂しいからまた私と話がしたいと言ってくれました。私もこの大変な身上と事情に苦しんでらっしゃるご婦人さんを放っておいたら彼女の今後の人生も大変なことになると思い、なにより公園で寝泊まりしており直近の安否も心配になったので、なんとか繋がりを持っておかないといけないと感じたのでした。

まだ怖いということで家の場所は教えてはもらえませんでしたが、電話番号を教えてもらえ、そして定期的に公園で会うことになりました。

 

約束は破られ、振り回される日々

自分にできる誠真実を尽す

このご婦人さん、生活保護を受けており金銭的に余裕のある生活ではないのに、お金の使い方が実にもったいない有り様でした。休む場所が欲しいということで一日いられるスーパー銭湯によく行きます。無くしては同じ物を何度も買います。結果、極貧です。(ちなみに認知症の検査を受けており、全く認知症ではないと医師から診断されたそうで、認知症ではありませんでした。)

癖性分によって極貧となり、食べ物も十分にないという状態でした。

 

おたすけ人になりたいと願い、神様の働きをいただいて人に魂のたすかりの道を歩んでもらえる人物になりたいと修業していますが、人間である私は、弱いものですね。目の前の方の病をすぐに治して差し上げることもできないし、苦しみの事情の根っこを切り取ってあげることもできない。その人の運命は、生まれかわりをも含めたその人の心の通ってきた道が現れているもので、やはり本人の心の立て替えがなかったら、好転していくことはないのです。

だからこそ、人間である私は、目の前の癖性分に苦しんでいる方が己の心の立て替えをできていくように、できるかぎり誠真実を尽くして、身上・事情の治まりを神様に願う「おつとめ」をして、病が治っていくご守護をいただけるように「おさづけ」を取り次いでいくことしかできないなと、痛感しているのです。神様に働いていただき、人に魂のたすかりの方へ進んでもらえるように、誠真実を尽して、おつとめをつとめて、おさづけを取り次いでいく。これしかできないし、でも、これこそが尊くて、そして本当に運命が切りかわっていくと感じているのです。心の立て替えをした方は神様の働きがあり、運命が切り変わっていくと、この目で見てきたのですから。

 

自分にできる誠真実を尽すことに決めたので、食べ物にさえ困ったご婦人さんと公園で会う日は、おにぎりを作っていくことを提案すると、とても喜んでくれました。あたわったお米を親神様・教祖にお供えして、そのお下がりでおにぎりを作っていきます。少しでも親神様・教祖の親心が働いてもらえたらと願って。

面会の約束のある日は、いつも5時半に起きているところを10分早めて起きておにぎりを作ります。基本的に毎日、戸別訪問に歩きおたすけに心を尽くしているのでヘトヘトで、朝のこの10分が結構しんどいのです。そして私は人だすけの毎日の中であたわってくるものだけで生きている単独布教師です。自分が口に入れるはずだったご飯を、人の口に入るおにぎりに変えていくと自分の食べるものがなくなっていくのですから、自分の生存に関して心配がつのってしまうのです。

それでもご婦人さんのたすかりを願って、面会の日は必ずおにぎりを作りました。

ヘトヘトになるくらい人だすけに歩いてから、いつもの公園でご婦人さんと面会してずっと話を聞きます。ほとんどが自分の悲惨な人生と、そして全てを人のせいにした話と悪口。1~2時間たってから、一生懸命に病の平癒を親神様・教祖にお願いするおさづけをして、おにぎりを渡して終了です。

 

3回に1,2回は約束を破られる

「苦しいから話を聞いてほしい。」

「おにぎりがほしい。」

などのご要望をいただいて、面会の約束をしていました。人だすけの修業の身の自分としてはありがたいのですが、ご婦人さんは面会の約束を3回に1,2回は破ってきます。約束の時間の1時間前などに電話でキャンセルしてくるものですから、その度にご婦人さんのために用意した時間もおにぎりを作った労力も、形の上では無駄になってしまいます。

精神的に余裕ができるとドタキャンを繰り返し、精神的に追い詰められれば電話をかけてきてたくさんの悪口と愚痴を30分はして約束を取り付けてきて、そして気分が乗らなければまたキャンセル。そしてまた精神的に追い詰められたら「たすけてー!」と電話をしてくるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クー、しんどい。

 

電話がくる。

ご婦人さんであることを確認する。

あぁ、またか。また悪口と愚痴を聞かなければならないな…。

また、約束を破られるのだろうな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

クー、しんどい。

 

それでも、ふんばって取り組んでいくんです。

たすけて欲しいと言われたら一生懸命やるんです。

面会の約束をされたら、朝早くおきておにぎりを作っていくんです。

 

人をたすける苦労の中に、自らの魂のたすかりがあると神様が教えてくれたから、信じてふんばっていくんです。

 

3ヶ月がたったころ

ピンチ

ついに、ご婦人さん、ピンチになります。借りてるアパートに住めてないから既にピンチっちゃピンチなのだけれども。借りてるアパートに住めずに公園で寝泊まりしているのより、いっそうピンチになってしまいました。

 

この頃、公園だけではなく、アパートの目の前の地面にも寝るようになっていました。近隣の住民の方たちが心配して声をかけます。「鍵を無くしちゃって。」とご婦人さんが嘘をつきます。鍵は大事に持っているのに…。近隣の住民の方たちは親切なことに「管理人さんに連絡して差し上げましょうか?」と提案してくれますが、管理人さんにアパートに住めなくなっていることがバレると事態が悪くなるのでご婦人さんは「大丈夫、大丈夫!」と強く断りました。近隣の住民の方たちは、「なら良いけれども…。」と身を引いてくれました。

しかし、毎日アパートの目の前の地面に寝ているわけですから、近隣の住民の方たちは、ご婦人さんが嘘をついていることや部屋に住めない状態であるということが分かるのです。そして管理人さんに通報したのでした。親切を無下にし続けていること、そしていつもたくさんの迷惑を周りにかけていることに怒りを込めながら。

すると管理人さんは、生活保護で部屋を借りているのにその部屋に住まないのは福祉として支給されたお金を無駄にしており問題があること、借りている部屋がゴミで埋め尽くされているのは問題であることを説明して、ここまで来たら片づけてもらわないといけないと強く注意をしました。「すみません、直ぐに片づけます。」とこのご婦人さんは約束をするのでした。

 

 

 

 

 

あぁ、でもこのご婦人さん、約束をしても、破ってしまうんだ…。

案の定、その約束を破り、そして管理人さんが再度注意をして、ご婦人さんが片づける約束をして、またその約束を破り…。何回も繰り返していました。

ついにカンカンに怒り狂った管理人さんに、片づけの期日を言い渡され、その期日までに片づけないと、部屋の契約の更新をしないように手を尽して住めないようにします、と通告されてしまいました。

 

頼るところを探すけれども

ご婦人さん、頼るところを探します。病気や悪いところだらけの体の自分では、ゴミ屋敷の掃除はできないと思い頼るところを探します。

友達を頼りますが、自分が裏切り続けているのでまともな人はおらず、やっとやってくれる人が出てきても、手間賃として一万円渡したら、すきを見て逃げられてしまいます。

業者を見つけて見積もりを出してもらったところ、「50万円は最低でもかかる。」と言われ、極貧の中では準備できず、断念。

ついに八方ふさがり。そしてあるところに電話します。

 

 

 

 

 

 

「もしもし…坂口さん…たすけてください。」

 

やっとお部屋に行かせてもらえる

ご婦人さん、やっと私、坂口に部屋を片づけさせてもらえることになりました。ある宗教団体に騙され脅され続け、天理教の修業をしている私を恐ろしいから嫌だと断っていた片づけの提案だったけれども、切羽つまって、そして3ヵ月のあいだ私が誠真実を尽したことを信頼の種として、やっと受けてくれました。

いつもの公園にいき、自転車で一緒にご婦人さんのアパートにいき、そしてご婦人さんが鍵をまわしドアを開けてくれました…。

 

我さえ良くばの心と、我が身どうなってもの心

大変な状態のご婦人さんと出会い、この段階で3ヵ月ほど一緒にいさせてもらえました。この道中に、親神様・教祖が大きな学びを私にくれたなぁと実感しています。

我さえ良くばの心

「我さえ良くばの心」が、本当に人生を暗いものにしていくということを目の前で見せてくれたのだと思うのです。きっと世界の皆が、良かれと思って自分の思う通りに生きていくのです。ご婦人さんも一生懸命に生きてきました。良かれと思って選択してきた積み重ねが今の状況をまねいたわけで、何も悪気はなかったのです。ただ、ない人間ない世界をつくってから一分一秒あますことなく続く親神様・教祖の親心を知らなかった。親神様・教祖が天の定規として伝えてくださったお話を知らなかった。知らないままに、良かれと思って「我さえ良くば」を重ねて、人の信頼を失い、積み重ねで病にもなり、人生が悲惨なものになってしまった。

我が身どうなってもの心

全く信頼してくれなかったようなご婦人さんでも、癖性分が凄まじいご婦人さんでも、私にとってどれだけ不都合だったとしても乗り越えて誠真実を尽し続けていれば、信頼してもらえてたすけを求めてもらえる。「我が身どうなっても」と一生懸命に人のたすかりを願って尽くしたことは、芽が出てくると見せてもらえたわけで、このご守護の現れこそが私の心の支えになり、私自身の運命を良い方へ変えてくれたなぁと、今振り返って思います。

私自身も「我さえ良くば」で運命を暗くした経験があったけれども、「我が身どうなっても」で運命を切り替えてもらえるなぁと感じています。

「我さえ良くば」という心が積み重なって、自分の人生を暗いものにしていきます。だからこそ、「我が身どうなっても」と思うくらい人のたすかりを願う中に、「我さえよくば」で積んだ悪い種が切れていき、陽気ぐらしの種まきになっていくのだと、今確信しています。

教祖が伝えてくれたお言葉を味わい、しみじみとそう感じています。

 

我が身どうなってもと云う心にならなけりゃ

真実の心は生れてこんのや。

案じ心を捨てゝ、人の喜ぶよう

人の助かるような道を通りなはれや。

人助けたら我が身助けて貰うことが出来るのやで

(明治十年十一月二十三日「教祖御口伝おことば」)

 

お部屋を見て

ご婦人さんに約束を破られまくってもふんばって

尽した労力が無駄になると分かっていてもふんばって

やり続けて、ついに、ついに、ついに、やっと信頼してもらえて

ご婦人さんがお部屋のドアを開けてくれました。

 

さぁ、ご婦人さんのたすかりはこれからだ!

片づけ頑張るぞ!!

 

と勇んだ気持ちでお部屋を見ると

 

 

 

 

 

言葉を失いました。

絶句、とはこのこと。

 

何があったのか…。

続きです↓

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