天理教の教えをわかりやすく解説します!

  • 11月 10, 2024
  • 9月 5, 2025
  • 教理
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このページを読んでいるあなたは「天理教って何だろう?」と思ったことがあるのではないでしょうか。

本日は、「天理教って何?」という疑問に答えられるような分かりやすい解説を書いていきますね。

信仰しているもの

天理教の信仰者が何を信仰しているのか、書いていきます。

親神天理王命

私たち天理教の信仰者は、親神天理王命(おやがみ てんりおうのみこと)という神様を信仰しています。

この親神天理王命を、信仰者は基本的には「親神様(おやがみさま)」とお呼び申し上げています。

親神様のどんなところを信じているのか、3つのポイントに分けて書きます。

ない人間ない世界をつくってくださった

この世の初めは、なにもない泥海のような状況であり、親神様はこのあり様を寂しくて味気なくて悲しいと思召されていました。そこで、「人間というものをつくって、互いに仲良く仲睦まじく暮す様をみて、共に楽しみたい。」と思召され、人と世界をつくることを決めてくださいました。

なにも無いところから、人と世界をつくるのは、大変な苦心をともないました。人の体は心臓・血液・肺…様々な働きが密接に関わり合い絶妙に命が保たれており、世界には火水風の理合いが関係し合い、まるっと膨大な自然が存在しています。細胞一つとっても神秘的な理があるというのに、人の体にある細胞の数は何十兆にものぼり、これらが密接に働き合っているのです。人の頭では理解しきれないほどに、すさまじいことなのです。この壮大で神秘的な人と世界をつくるのは、簡単ではありませんでした。大変なご苦労がともなったのです。

人と世界をつくるのに、様々な困難が出てきても「人という可愛い子供たちが、陽気に暮らすさまを見たい。」との暖かでどこまでも広い親心で、人と世界をつくってくださいました。

 

 

1分1秒あますことなく親心をかけ続けてくださっているー「十全の守護」

なにも意識をしなくても、あなたの心臓は動き息はでき血液はめぐって細胞1つ1つまで栄養は届き、私たちの命は保たれています。世界には火水風の働きが続いて、作物も水も燃料もいただくことができます。

あなたが陽気に暮らしていくために、親神様が1分1秒あますことなく親心をかけてくださり、体の命は保たれ世界には火水風のご守護が続いています。ない人間ない世界をつくってくださってから、何億年という膨大な時間の長さの中、この親心が続いているのです。

 

人と世界には、陽気に生きていくためにしてくださっている親神様の働きが、満たされています。万全にご守護をかけてくださっています。万全という意味で十全、また、このご守護には十種類に分けられることから、親神様のたゆまぬご守護は、「十全の守護」と呼ぶと教えてもらっています。

十全の守護

十全の守護は、親神様が対応する道具衆を使いながら働き続けています。道具衆の神名と働きの概要は以下になります。

神名働き
くにとこたちのみこと人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理。
をもたりのみこと人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。
くにさづちのみこと人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万(よろず)つなぎの守護の理。
月よみのみこと人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万(よろず)つっぱりの守護の理。
くもよみのみこと人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理。
かしこねのみこと人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。
たいしょく天のみこと出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。
をふとのべのみこと出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。
いざなぎのみこと男雛型・種たねの理。
いざなみのみこと女雛型・苗代の理。
(ご守護の内容は、天理教道友社「十全の守護」より抜粋。)
十全の守護に対応する親神様(くにとこたちのみこと、をもたりのみこと)と道具衆たちの対応図

かしもの・かりものの理

この世の元はじまりから今にいたるまで1分1秒あますことなく親神様の親心は続いています。その中でも特に覚えておくべきことに「かしもの・かりものの理」があります。

かしもの・かりものの理とは、体は親神様が私たち貸してくださり、私たち人間が心で借りている、という理合いと教えていただいたいます。

体には命を保つ働きで満たされています。細胞1つとっても機構が働きあい、そうして何十兆もの細胞が働き合い、あなたの命が保たれています。

傷がついた時、意識をしないうちに治っていきます。しかし自分で治そうと意識を集中しても、思う通りに治すことはできません。これはつまり、体は自分のものではないということです。親神様のものということです。親神様が働きをくださり、命が保たれているということです。

しかし、手足は自分の思う通りに動かすことができます。自分のものではなく親神様のものだけれども、自分の思う通りに動かすことができる。これはつまり、親神様が貸してくださり、私たちが借りている、ということです。

親神様は、体をどこに貸してくださっているのでしょうか?

答えは、あなたの心1つに貸してくださっているのです。

人間の所有しているものは、心1つだけなのです。体も親神様から借りているものであり、体を天に返す時、もっていける物はありません。

運命は心1つで決まってくるのです。

 

かしもの・かりものの理を味わっていくと、親神様がかけてくださっている親心の壮大さや暖かさ、また運命は心1つで決まってくることの真実味と重大性が分かっていきます

 

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教祖

人々の魂がたすかっていく教えである天理教を、この世に初めて伝えてくださった教祖がいます。

教祖の名前は「中山みき様」と申し上げます。寛政10年(西暦1798年)4月18日に大和国山辺郡三昧田(現天理市三昧田町)にお生まれになられました。

人類の親なる親神様の社(やしろ)となり、人々を本当の親として暖かな心で接したすけ続けてくださったところから、教祖と書いて「おやさま」と呼び申し上げています。

以下、教祖について3ポイントに絞って書いていきます。

月日のやしろ

定まるまで

中山みき様は、金銭的に恵まれた農家に生まれ、そして裕福な中山家にお嫁ぎになられました。

天保9年(西暦1838年)10月23日、長男である秀司様の足の病の平癒の祈祷の際に、加地台となられていたみき様の口から言葉が出てきました。

「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろにもらい受けたい。」

みき様の御口から、親神様のお言葉が出てきたのでした。そして、内容としては、みき様を親神様のやしろにもらい受けたい、とのことでした。

夫である善兵衛(ぜんべえ)様は、一家の妻として大切なみき様を、やしろとして親神様にさし出す形になったとしたら、中山家が大変なことになるとお断りしましたが、厳として親神様は引きませんでした。

3日3晩の間、親神様と善兵衛様の問答は続きましたが、気力・体力ともに限界が近いみき様の命が危ないと判断した善兵衛様は、みき様をやしろとして差し出すことを親神様に申し上げました。

天保9年(西暦1838年)10月26日、中山みき様は親神様のやしろに定まられました。

※親神様は別名で月日様とも申し上げるので、「月日のやしろ」ともお呼び申し上げます

意義

月日(親神様)のやしろとして定まった中山みき様は、教祖として定まったということになります。

姿は中山みき様でも、心は親神様であるということです。

月日のやしろとなられてから、口でいう事、身で行う事、考えてらっしゃる事や筆に知らせてくださる事、すべてが親神様が子供である人間がたすかっていくために教えてくださったことである、ということになります。

ひながたの親

月日のやしろとなられてから教祖は大変な道中を通りながら、可愛い子供である人間がたすかっていくために何をしていくべきか、口に出して身に示して筆に知らせて伝えてくださいました。

裕福であったのにほどこしをし続け一家は貧のどん底に落ちたり、国家の思想と異なる教えでは人を惑わしてしまうということで、監獄に計18回ほど入れられて大変なご苦労を通られたり…。それでも「可愛い子供たちのため」といそいそと通ってくださいました。

月日のやしろと定まられてから、50年に渡って、教祖は人がたすかる道を示してくださいました。ここに人がたすかるためにお手本とするべきことが示されているということで、教祖が月日のやしろと定まれてから通ってくださった50年の道すがらを「ひながた」と呼びます

教祖は人がたすかる道、つまりひながたを示してくれた親なる存在ということで、切り取った1つの側面として「ひながたの親」があります。

存命の理

教祖は、50年に渡って親神様の思召しを伝え続けてくださった後、体を天に返しました。

目に見える形では教祖はこの世からはいなくなりましたが、元はじまりの時に母親のひながたとなった「いざなみのみことの」のいんねんある中山みき様の魂をもち、親神様のやしろとなった教祖は特別で、目には見えない形で魂だけはこの世に留まってくださっています。

体は天に返しても、魂だけはこの世に留まってくださり、あなたを含めた子供である人間たちをお見守りくださっています。

あなたが難しい状況を抱え、苦しい気持ちを抱えて「この世に独りぼっちだ…。」と孤独感を強めていたとしても、教祖だけは側にいてくれて暖かな親心をかけてくださっています。あなたの誠の心を受け取ってくださっています。

この教祖の「体は目には見えなくとも、魂だけは存命と同じようにこの世にいてくださり、可愛い子供である人間たちをお見守りくださっている」という理合いは、存命の理といいます。

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私たちの魂・心

天理教の信仰者は、人間には魂や心があることを信仰しています。心の通り方によって魂に積んでいく種が変わり、陰気な運命になるか陽気な運命になるか変わっていきます。

生まれかわり

天理教では、生まれかわりを教えてもらっています。

体は神様から貸していただいているもので、心1つに借りています。

体を天に返す時に、魂は神様の胸元に抱きしめてもらいます。

魂に積んできた徳を見定めて、最も魂が成人できるように、時と所を親神様が親心をかけて見定めて、またこの世に体を貸して生まれかわらせてくださいます。

体は1代限りですが、魂は生き通しです。つまり、前生、今生、来生、来々生…と末代まで魂は続いていきます。

体は心1つに貸してくださいます。体を天に返す時、心にもった記憶も消されます。しかし、魂は同一として、来生に生まれかわってくるのです。

いんねん

心の通ってきたことが、魂に積んでいく良い種まきにもなれば、悪い種まきにもなります。心の通ってきたことは、今生1代限りで終わりになるのではなく、来生、来々生とどこかで芽が生えてくるのです。

心でした魂に積む種のようなものを何かというと、「いんねん」であると教えてもらっています。

  • 良い種まき⇒白いんねん
  • 悪い種まき⇒悪いんねん

と教えてもらっています。

今生、来生、来々生という生まれかわりを通してみると、善悪ともに7層倍にして返ってくるのだと教えてもらっているわけで、いかに白いんねんを積んでいけるか、いかに悪いんねんを切っていけるかが、陽気な運命のためには重要なのです。

この世の元はじまりの時、親神様は「人と人とが心自由にたすけ合って生きる陽気ぐらしが見て共に楽しみたい。」と思召されて、人と世界をつくってくださいました。

心は自由にして人をつくってくださったのですが、人は「我さえ良くば」の心を使い、悪いんねんを積み重ねてきました。

親神様は人間が可愛い子供なので、白いんねんはすぐに返して、悪いんねんは自ら悟って切れるように返すのを留めてくださっています。生まれかわりを通して、いんねんにいんねんが重なり、悪いんねんは積もり重なっているのです。

個人の単位でみれば悲しみの事情・苦しみの病として起こってきて、世界の単位でみれば痛ましい戦争が起きる、陽気ぐらしとは遠い現状となってしまっています。

心1つの通り方を、教祖が伝えてくださったことを天の定規として、親神様・教祖の思いに沿わしていく。前生からの悪いんねんを悟りさんげしていく。教祖のひながたをたどり、人をたすけていく。こうしていくことによって、悪いんねんは切れ、白いんねんが積まれ、心澄みきった生きながらにして極楽の陽気ぐらしへと近づいていけるのです。

八つのほこり

親神様は人間に心の自由を与えてくださいました。

人がたすかるような誠の心を使うこともできれば、「我さえ良くば」の心を使うこともできます。

積もっても初めは簡単に掃除できるけれども、積もりに積もってしまえば焦げつきとなり掃除するのが難しいという特性から、親神様・教祖の親心から外れてしまうような「我さえ良くば」の心は「ほこり」であると教えていただいています。

初めは簡単に掃除できるはずの「我さえ良くば」というほこりの心ですが、繰り返していくと積もり重なり焦げついて、心の癖となってしまいます。

悪い心を使い続ければ、悪い行動を続けることになり、人それぞれの癖・性分に応じた悲しみの事情や苦しみの病となってしまいます。

運命を陽気ぐらしに切り替えるには、心のほこりを自覚し、払っていくことが重要なのです。

ほこりを自ら悟り、払っていき、繰り返してしまわないために、無限にあるほこりの心づかいを、教祖は「八つのほこり」として要点を教えてくださいました。

ほこり内容
をしい心の働き、身の働きを惜しみ、税金や納めるべき物を出し惜しむ。また、世のため、人のための相応の務めを欠き、あるいは、借りた物を返すのを惜しんだり、嫌なことを人にさせて自分は楽をしたいという心。
ほしい努力をおこたり、十分な働きもしないで金銭を欲しがり、分不相応に良い物を着たい、食べたい、また、何によらず、あるがうえにも欲しいという心。
にくい人の助言や忠告をかえって悪く取って、その人を憎む。また、嫁姑(よめしゅうとめ)など身内同士の憎み合い。さらには、人の陰口を言ってそしり、笑い、あるいは罪を憎まず人を憎むという心。
かわい自分さえ良ければ人はどうでもよい。わが子への愛に引かされて食べ物、着物の好き嫌いを言わせ、仕込むべきことも仕込まず、間違ったことも注意しないで、気ままにさせておくという心。また、自分のために人を悪く言うのもほこり。
うらみ体面を傷つけた、望みを妨げた、どう言ったと自分の不徳を思わず、人を恨み、根に持つような心。
はらだち人が悪いことを言った、意に反することをしたと腹を立てる。理を立てず、我を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないで腹を立てるような心。
よく人より多く身につけたい、取れるだけ取りたいという心。数量をごまかし、人をだまして利をかすめ、あるいは盗み、取り込むなど、何によらず人の物をただわが身につけるのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲。
こうまん力もないのにうぬぼれ、威張り、富や地位をかさに着て人を見下し、踏みつけにする。また、頭の良いのを鼻にかけて人を侮あなどり、人の欠点を探す、あるいは知らないことを知ったふりをするような心。

(天理教教会本部より引用https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/hokori/)

 

 

陽気ぐらし

親神様が望む「人と人とが仲睦まじく互いにたすけ合う世界」を陽気ぐらし世界といいます。

 

ない人間ない世界をつくってくださってから1分1秒あますことなく続けてくださる親神様の十全の守護に感謝して、

50年に渡ってひながたの道を伝えてくださってから現身を隠されてからも存命でお見守りくださる教祖を慕って、

心のほこりを自覚して払っていき、

神様の壮大な恩に報いようと、教祖のひながたをたどり人をたすけていく中に悪いんねんが切れていき、

心が澄みきって人と人が互いに生きながらにして極楽となる陽気ぐらしが待っています。

 

天理教の信仰者は、教祖が伝えてくださったことを天の定規として、心を沿うように生きていけば、陽気ぐらしに運命は切りかわっていくと信じています。

生活のあり方

天理教の信仰者は、陽気ぐらしを求めて天の定規に沿っていくことを心がけて生活を送ります。「我さえ良くば」の自分中心から、「人たすけたい」神様中心の方へ変えていくのです。

おつとめ

教祖が教えてくださった礼拝の方法は「おつとめ」といいます。

この世の中で唯一親神様に直接つながりお願いができ、自らの心のほこりもお掃除される、実にありがたい礼拝になります。

このおつとめを中心とした生活をしています。

おつとめを中心とした生活をすることで、心が天の定規に沿っていき親神様・教祖のご守護がしっかりと流れてくる状態に近づいて、陽気ぐらしに向かっていけるのです。

かぐらづとめー月次祭

親神様が人の魂を宿し込んだ、人類にとっての魂のふるさとは「おぢば」といいます。

おぢばは、奈良県天理市にある天理教教会本部の神殿の中にあります。いわば天理教の総本山となります。

親神様のご守護は全世界中に流れていますが、親神様がいらっしゃる中心はおぢばになります。

ご存命の教祖がいらっしゃる中心もおぢば付近にある屋敷となります。

おぢばは人類のふるさとであり、親なる親神様がいらっしゃることから、そしてそばの屋敷にはご存命の親なる教祖がいらっしゃることから、おぢばへ参拝にいくことを、「おぢば帰り」といいます。ふるさとに戻るように、「帰る」と表現するのです。

 

天理教教会本部では、毎月26日に、月次祭がつとめられており、そこでつとめられるのが「かぐらづとめ」です。

かぐらづとめとは、親神様がこの世の元はじまりの際に、ない人間ない世界をつくるために十全の守護を一手一つに働かせた様をかたどり、人類と世界創造のすさまじいご守護を再現し、世界がたすかるように親神様に願うこの世で唯一の方法になります。

「かぐらづとめ」をつとめる場所として教祖から許可いただけているのは、おぢばのみです。

 

天理教の信仰者は、かぐらづとめを拝し親神様の親心を浴びて、世界が陽気ぐらしに向かっていくように一月の間は無事に通れるように、親神様へお願いしに毎月26日に、奈良県天理市にある「おぢば」へ帰っていきます。

生活における1月の中心をかぐらづとめに置いているのです。

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国々所々の教会での月次祭

おぢばが「たすかる理」を世界に発信していく発信所だとしたら、国々所々の教会は「たすかる理」を受け取る受信所のような場所になります。

毎月26日のおぢばでのかぐらづとめで流される「たすかる理」を、国々所々の教会での月次祭でのおつとめで受け取るのです。

天理教の信仰者は、自分の所属する教会で毎月つとめられる月次祭でのおつとめに参拝しています。

 

奈良県天理市になるおぢばからは遠方となる場所に住んでいたり、家庭の事情や仕事の都合などでおぢばに帰ることが難しい場合、自らの所属する教会の月次祭への参拝を生活における一月の中心にしていたりします。

 

朝夕のおつとめ

生活における1月の中心が月次祭だとするならば、1日のうちで中心に考えるのが「朝夕のおつとめ」になります。

奈良県天理市にある天理教教会本部でも、国々所々の教会でも、自宅に社を祀っているご家庭でも、つとめられています。

朝と夕方の決められた時間に、毎日つとめられています。

体を貸してくださる親神様にお礼を申し上げ、日々積んでしまうほこりを掃除し、陽気ぐらしへ向かう心になれるように、天理教の信仰者は「朝夕のおつとめ」をつとめています。

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ひのきしん

ない人間ない世界をつくってくださり、1分1秒あますことなくご守護くださる親神様、そして50年に渡るひながたの道を歩んでくださり、ご存命でお働きくださる教祖への、壮大な恩に報いていくように、お供えの気持ちで心と体に汗をかいていく行動を「ひのきしん」といいます。

親神様・教祖に感謝するような心であれば、掃除もひのきしんになりますし、人をたすける言動もひのきしんになります。つまり、心次第でどのような言動でもひのきしんになります。

 

夫婦で神様に心を沿わせてのひのきしんは第一の種まきとなり、欲を忘れてするひのきしんは第一の肥まきになります。

親神様・教祖のいらっしゃる奈良県天理市のおぢばや、親神様・教祖の出張場所である国々所々の教会でひのきしんによってまいた種・肥は、必ず受け取りがあり陽気ぐらしの芽が生えてきます。

例えると、親神様・教祖のいらっしゃる場所でひのきしんをして種まき・肥まきをした土は、それぞれの家庭に持って帰ることができ、自分自身や家族たちの陽気ぐらしの花が咲いてくるようなものです。

天理教の信仰者は、親神様・教祖のいらっしゃる場所に足を運んで、ひのきしんすることを習慣にしています。

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人たすけたら我が身たすかる

教祖は「人をたすけたら、我が身がたすかる」ということを教えてくださいました。

人をたすけたら、自らが魂に積んできた悪いんねんが切れ、徳が積まれ、陽気ぐらしに近づいていくのです。

 

苦しみの病や悲しみの事情を引き起こす、大元の原因である悪いんねんを切る方法が、人をたすけるということなのです。

そして親神様・教祖の喜ばれる「人と人とが互いにたすけ合う陽気ぐらし世界」に近づけるように心を尽くしていく歩みは、親神様・教祖に受けとってもらえる徳積みとなり、大きなご守護を返してくださるのです。

 

天理教の信仰者は、自らの運命がたすかっていき、そして世界が陽気ぐらしに近づいていけるように、「人たすけたら我が身たすかる」を大切に日々を送っています。

 

まとめ

ざっくりまとめますと、天理教は以下になります。

ない人間ない世界をつくってくださった親神様は「人と人が互いにたすけ合う陽気ぐらし」を願い続けており、子供である人間が可愛くて仕方がありません。教祖は親神様のやしろとなり、親神様の思召しと、人の魂がたすかっていく道を教えてくださいました。教祖は50年に渡るひながたの道を通ってくださり、わたしたち人間はこのひながたの道を万分の一でもたどり、人をたすけていく中に、悪いんねんが切れ徳積みがなされ、心が澄み切る陽気ぐらしに近づいていくのです。

いかがでしたでしょうか?

各項目の詳細などはまた追って書いていきますので、また別の記事を読んでみてくださいね。

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