理念
私たちは、ない人間ない世界をつくってくださってから1分1秒あますことなくご守護くださる親神天理王命(おやがみてんりおうのみこと)と、その社となって50年に渡るひながたの道を通ってくださった教祖(おやさま)中山みき様のことを信仰しています。
地域の方々やご参拝される方々の人生が幸せに向かっていくために、神本分教会は以下3つの姿を目指し、理念としています。
1.心の掃除ができ活力を得られる場所でありたい
人間というものは日々生活をしておりますと、「今さえ良くば、我さえ良くば」という思いになり、心にほこりのような汚れを積んでいってしまうものであります。この心のほこりが積もり積もって、苦しみの病や悲しみの事情として芽吹いて、人生が陰気なものになっていってしまいます。
神様が伝えてくれたことには、
よくにきりないどろみづや こころすみきれごくらくや (みかぐらうた 十下り目四ツより抜粋)
とあり、神様をほうきとして掃除していくことで、心のほこりが払われていきます。

何も意識をしなくとも心臓が動いて息ができることに現れているように、神様は私たちに体を貸してくださり、世界には火水風のご守護をかけてくださっています。ない人間ない世界をつくってから1分1秒あますことなく親神様のご守護は続き、魂だけとなっても教祖はご存命で親心をかけてくださっています。
神様の親心に触れていけば、私たちの心のほこりは払われて、生きる活力を頂くことができます。
教会に来たら心が気持ちよく緩まり、人々とお話をして孤独が払拭され「たすけ合う生き方」の素晴らしさを思い出させて、お祈りによって心の掃除や神様の親心から温かな活力を得られる、そんなことが叶う場所を目指しています。
2.天の定規に沿った生き方を学べる場所でありたい
人間が自分のものとして所有できるのは、心一つだけであります。
例えば、息ができて酸素が血液に取り込まれて体中をめぐる働き1つを考えてみましても、自ら意識して働かせているのではありません。神様が働いてくださるから、命を保つことができています。身体は神様が貸してくださるものであり、私たちの心一つで借りているものであります。
心一つの通り方によって、悪い種まきをしてしまうか、良い種まきができるか、変わっていきます。
私たちの運命が陽気ぐらしになっていけるかどうかは、心次第であります。
親神様の社となった教祖が教えてくださったことがあります。
「世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで。」(稿本天理教教祖伝逸話篇三一「天の定規」より抜粋)
陽気ぐらしに向かっていくにはどのようにして心の道を通っていけばよいのであろう?
何が良い種まきになっていくのだろう?
家庭円満で健やかに生きていくには、どのように歩んでいけばよいのであろう?
天の定規として神様が伝えてくださった教えから陽気ぐらしに向かう生き方を学ぶことができ、上記の思案を深められる場所を目指しています。

3.陽気ぐらしへの種まき肥まきができる場所でありたい
「我さえ良くば」という思いで悪い種をまき続けていると、人生が陰気なものになってしまいます。
自分に使えたはずの時間を、神様が喜ぶような言動に使わせていただく。
自分に使えたはずの時間を、人がたすかるような言動に使わせていただく。
こうして心と体に汗をかいていくと、神様の親心をじんわりと感じられて「あぁ幸せだなぁ。」としみじみと味わえる心が育っていきます。そして心が変わっていけば、自らの運命も変わっていきます。
良い種をまき、良い肥をまいて、私たちの運命は陽気ぐらしへ変わっていくのです。
神様が伝えてくださったこととして、次があります。
やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる(みかぐらうた 七下り目 八ツより抜粋)
神様の出張場所である教会はいわば神様の田地であります。神様・人様のために心と体に汗をかく言動は、良い種まき・肥まきになっていきます。
そしてまた神様は次のように教えてくださいました。
やしきのつちをほりとりて ところかへるばかりやで(みかぐらうた 十一下り目 八ツより抜粋)
教会でした良い種まき・肥まきでできた土は、各家庭に持って帰ることができます。そしてその持って帰った土の中から、陽気ぐらしの花が咲いていきます。
人と人とが互いに立て合いたすけ合いながら、陽気ぐらしのために種まき・肥まきができ、陽気ぐらしの花を咲かせていくことができる場所を目指しています。
